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癌掲示板..>末期肝臓がん患者 家族の立場から

1 名前: ばばのしん 投稿日:2006/04/06(木) 08:06
治療のすべのない母を半年間自宅で介護していましたが、先日葬儀を
終えました。
別スレで意見交換していましたが、テーマからずれてきましたので、
こちらに新スレを作りました。
家族の立場からいろいろ意見交換できれば・・と思います。
別スレからの続きになりますので、わかりにくい点あるかもしれません。
肝臓がんの治療は・・・をご参考ください。

何から書いたらいいのかわかりませんが、この一ヶ月、もうだめかもしれない
という思いを何回も繰り返しながらも復活し、でも、少しずつ衰えていきました。
意識レベルがさがり、問いかけには何かを答えようとするのですが、言葉がでて
こなくなったり、混乱したり、水を飲めなくなったり・・。
ただ、最後まで本人は諦めることなく、努力の人でした。
本人のつらさがなくなるのなら病院に・・との思いでしたが、病院での処置と
自宅で過ごすことを天秤にかけながら、迷いながら、結局は最後まで自宅で
過ごしました。迷い続けた日々でしたが、今はベストだったと思っています。
最後の半日は、特に最後の一時間ぐらいは本人もきつかったと思います。
私は、自宅での家族の世話で、最後の瞬間は立ち会うことができませんでし
たが、父と叔母二人に見守ってもらいながらの旅立ちでした。

母とは生き方が違い、つらくあたった時期もありました。
ただ、いよいよ状態が悪くなっての半年で、母の介護をさせてもらえることで
今までの親不孝を少しでも償えるよう時間を作ってもらえたように
思います。
自分のためというよりも、家族のためにがんばってくれた母に本当に感謝しています。
また、介護の時間の中では、母の気持ちを尊重するあまり、とにかく父とぶつかりま
したが、母が亡くなるときにいろいろな思いも持っていってくれたようで、不思議
と父に対する気持ちもすーっと楽になったようにも思います。
改めてすごい人だと思います。

家族皆、悲しいというよりも、家族のために頑張りすぎるほど頑張った母に
やっと楽になれてよかったね・・という気持ちのほうが大きいです。
みな極限の状態でしたので、今日は少し体を休めて、また歩きだそうと
思います。

多分別スレからお付き合いいただいている方々も多いと思います。
うれしいお知らせも、心強い支えも、私の励みでした。
本当にありがとうございます。

また、新しくご覧になった方々へ。
決して決まったメンバーでの閉鎖的なスレッドではありません。
同じ立場を共有するものとして、体験したものしかわからないこと、
また情報があります。
少なくとも私は、とてもつらい状態のときに、そういうスレッドを
探していました。お互い支えあって、大切な家族が少しでも幸せな
状態が続くように心を尽くしましょう。
そういう祈りをこめて・・・・。


601 名前: にゃっち 投稿日:2007/09/13(木) 00:12
小細胞ガンから肝臓骨と転移し、本日に余命3日程度と家族だけに医師から宣告されました。
抗癌剤も4番手、5番手になると試しても副作用のみで意味がないと
言われてから、2ヶ月程母も薄々はこんな日が来るとはおもっていたでしょうが
まだ嫁のお腹にいる新しい命を抱く事を疑ってないような感じもします。
初めて告知を受けてから1年と3ヶ月、本当によくがんばってきました。
肺炎を起こして発熱、下半身マヒ状態でモルヒネで意識もうろう。
そんな母にがんばれ!ともがんばるな!ともいえず。どういえばいいのか
言葉につまって涙が出そうになるのをガマンする次第です。
このような状態で本人には余命云々を告げてなくとも悟っているものなんでしょうか
なんだか現実とは受け入れがたく、それとは裏腹に今にも召されそうな母の姿をみては
ギャップに悩むしだいであります。ただ側にいるだけで死をまつもどかしさ。
無力を痛感し、今まで父と相談し決めてきた出来事も本当にあれが最善だったのかと
いまだにおもいますが皆さんはどうなんでしょうか?またこのような状態でどう声をかけ
どう接するのでしょうか。




602 名前: はこ 投稿日:2007/09/13(木) 09:40
にゃっちさん、大変お辛い気持ちわかります。
自分では最善を尽くしたつもりでも、他にもっと手立てはなかったのかと
思い悩んであせる毎日でした。
今はお母様とにゃっちさんがおふたりとも、少しでも心静かに過ごせるように
これまでの楽しかった日々の思い出とかこれからの楽しみとか、語り合ってく
ださい。お孫さんの誕生を楽しみにしておられるのですから、そんなたわいの
ない話をして明るくいられるように。
お母さんはとても強い方なのですね。
にゃっちさんやご家族のかたができるだけそばについていてあげて欲しいと
思います。

603 名前: にゃっち 投稿日:2007/09/15(土) 00:52
はこさん。ありがとうございます、今日は父と交代で帰ってきました。
相変わらず何も口にはしていませんし、脚はパンパン下半身は骨転移の影響からか
うごきませんが、熱が下がり呼吸が少しマシになりました。しかし医師からは
何の訂正説明もないと言う事は蝋燭の消える前の燃焼なんでしょうか・・
そもそも医者の余命宣告3日から一週間以内は本当なんだろうか・・・
皆ここで励まされ、強い精神で患者と共にがんばられておられる、頑張られた方
がたくさんおり、大変参考になります。父も僕と二人になれば口を開けば
葬儀の事ばかりを口にし、気が滅入りますが、はこさんのアドバイスを見て
呼吸が止まるその瞬間の最後まで母を支え頑張っていこうと勇気がわいてきました
ありがとうございます

604 名前: はこ 投稿日:2007/09/15(土) 19:03
にゃっちさん、現実問題も考えなくてはならないのは当然なのですが
ご葬儀の話はどうなんでしょう・・・
私も父本人には知らせていませんでしたが、余命宣告を受けいよいよ来る
時が来たと感じた時、母に代わってしっかりしなければならないと思い
心の中で色々準備をしていました。
でもね、父本人は元気になって帰れると信じて病気と闘っていたんです。
だから一瞬でも一緒に過ごせる時間が続くように祈り、一緒にいられることを
喜ぼうと思いました。
命の火がいつ消えるのかなんて医者にもわかりません。
最後までお母様を励ましてあげてください。

私が一番望んだのは、父が苦しまないことと最期についていたいということ
でした。そしてそのどちらかひとつを選べと言われたら、苦しまないで欲しい
と願ったでしょう。
お母様にも穏やかな時間が続きますように!
お父様も大変苦しんでおられるのです。
にゃっちさん、親を見送るのは人間の一番大事なつとめだと思うのです。
一番辛い時期だけどどうか頑張って。




605 名前: 富ママ 投稿日:2007/09/20(木) 06:59
 にゃっちさん。お母様は頑張ってくださってますよね
心落ち着かれておられますか?最後の最後まで余命宣告はさぞ辛かった事と思います。
お母様は目をあけてくださらなくても体が動かせなくても耳は聞こえておられますよ!
どうか楽しかったこと、懐かしいお話沢山してあげてください。
私の父も下顎呼吸に入り尿が出なくなってしまってから亡くなる数時間前に意識を取り戻し
「ありがとう」の言葉を伝えることができました。
ずっと手を握ってたら握りかえしてくれました。
心の中でお母さんらしくと祈ってあげてくださいね。

606 名前: にゃっち 投稿日:2007/09/27(木) 10:51
はこさん。富ママさん。親身なアドバイスありがとうございました。
担当の医師からは15日の昼には多分・・・と聞かされてから、前文の通り
幾分か持ち直したのもあり、症状は決して良いものではありませんでしたが
呼吸もゼロゼロいいながらでも昔話やこのスレの話、これから生まれてくる
新しい命についてなどを話しながら23の朝を迎え、交代で家に帰りました。
15までの命がmou23日だし余命宣告なんて所詮当て物なんだなと思いましたが
24朝親父と交代に行くとなんだか様子が先日の朝とは違い喋らないのか
喋れないのか、首振りの返事のみになっていました。
13日も乗り越えたのでそれほどは気にはとめていませんでしたが、
朝親父が言うには23の昼からは水も氷も飲まず尿の出が悪いときいて
いましたが、24の朝俺に交代してからは朦朧としながらも孫とお腹の子の話をすると
水を少しのんだので不安な気持ちが少し安心しました。この頃からストローで水が吸えず
本人希望でスポイド形式で水をくちにはこんでいました。しんどそうやけど
前向きやなぁとおもいつつも時間が過ぎ4時ゼロゼロがあまりにも苦しそうなので
吸引をしてもらったところ酸素が90を割って80を割って70を割って
なんだか、え!え!って感じで酸素最大でマスクタイプに変えてもらいました。
8時夜間の看護師に切り替わり家族を呼んでといわれましたが、4時の時点で家族呼びだした所やし一回帰って
すぐだったので人変わったから同じ事いってんだな。と思い、親父も寝かしてやりたかったのもあって
少しなやみましたが一応親父に伝え、来たかったら来いと伝えましたがヤッパいくというので
待つことにしました。でもそのときはそんなに悲観的にはおもいませんでした。ところが
電話を切って機械をみてみると脈が40台まで・・その瞬間からドキっとしてしまい
あわててしまいました。必死で母に語りかけ肩をさすり耳元で励ましました
皆さんのアドバイスがあったからこそできた事だと感謝しています。
余命は本人に非公開であった為敏感な母に感謝の言葉などは言えず、母も
言わない感じと言うか前向きな姿勢だったのもありましたが、この時始めて
母にそれらしい言葉を言いました。俺オカンの子に生まれて幸せだったよ
次生まれてきてもオカンの子やから。生まれて来る子いっしょにダッコしたいね
2歳の娘がオカンと一緒に温泉いきたいってって。必死に語るとその時から急に
バイタルが安定して少し目が開いたのです。うれしさがこみ上げてきましたが
父を呼んだのに父には悪いことしたなっと。でもホっとしたなっておもい。
すぐ姉が父と母の姉をつれてきました。すぐ看護士さんがきて部屋でモニター
がみれるようにセットしてくれました。スイッチを入れたその瞬間機械が
ピーーー。壊れてるのか始動音なのかと思っていると、呼吸がとまりましたねって
うそやろ?うそやろ?母を抱え込み必死で言いました。オカンまだやって
まだこっからやっていっしょに頑張ろう!もどっておいで!って言った瞬間
もう1度呼吸をし、頑張ろうと必死でした。そのあと眉間にシワがクっとよって
母は動かなくなりました。わずか15秒ほどの間でしたが呼びかけに答え
最後の1秒まで決して諦めずガンと死と真っ向勝負で頑張ったとおもいます。
心臓マッサージをする俺を父が止めもう十分頑張ったんだと、苦しんだと
家族で泣き崩れました。24日10時48分医師の診断で確認が終わり、そこから
葬儀が終わった今日までは感傷にひたるまもなく次々と来る行事と疲労で
pcにかまうまもなく、報告が遅れてすみませんでした。ただ母がもっと元気だった
時にこう言うことを言ってあげれば良かったのかなと色々後悔があります。
バイタルに影響が出たりとかもあったのできっと意識朦朧でも聞こえてると
信じたいですが、手を握りかえしたり、うなずいたりもなかったので
きっとそうに違いないと心に思っている自分がモヤモヤが残ります。母も俺に何か
言いたい事があったのではないか・・・と。俺の前では一切弱音ははかず最後のときまで
諦めない姿勢をつらねかねばならなくしてしまったのだろうかと。4時の時点で医師の指示で切った
モルヒネで本当にくるしくなかったのだろうかなど・・・
でも皆さんのアドバイスがあったから一方通行かもしれませんが言いたい事が
言えたのは事実です。頑張れたのは事実です。本当にありがとうございました
治る。諦めるなと言われるガンですがまだまだ怖い病気なんですね;;
母の宣告から一緒にやめてあげたタバコも本当にやめてよかったと思っています
体重が増えた事以外は(笑)
これから落ち込んだ父を支え一緒に頑張っていきていこうとおもいます。
本当にありがとうございました。

607 名前: はこ 投稿日:2007/09/27(木) 19:08
にゃっちさん、お疲れさまでした。
最後の最後までお母さまと懸命に戦ったにゃっちさんにお母さまも
同じ気持ちをお持ちだったと思います。
私の子供に生まれてきてくれてありがとう、最後まで励ましてくれて
ありがとう、ずっと見守っているから元気で私の分まで生きてね!と。
決して一方通行ではなく、そう思っておられるはずです。
しばらくは落ち着かない日が続くと思いますが、お身体も大切にご自愛
ください。
お母さまのご冥福を心からお祈りいたします。


608 名前: 富ママ 投稿日:2007/09/30(日) 12:17
 にゃっちさんへ。
そしてご家族のみなさん 本当にお疲れ様でした。
闘病生活は本当に辛かったと思います。
最後までしっかりおかあさんのそばにいられたのですね!
いろんな後悔や悲しみがあるかと思いますが
 おかんまだやて!その一言で瞬間でも息を戻されたのですから
十分にお気持ちは伝わっておられるはず。

どうぞこれからはお母さんのぶんまで皆さんが幸せになって
くださいね!
おかあさんもそれを望んでおられるはず。。。。

  お母様のご冥福を心からお祈り致します。富ママ

609 名前: にゃっち 投稿日:2007/10/02(火) 22:30
はこさん、富ママさん、本当にありがとうございます。やっと初七日も
終わってひと段落したところで、細かな表情や思い出がよみがえり
位牌を見ては、あぁ・・・もういないんだ・・と思うようになりました。
2歳の娘は実家に行ってはバーバいないの?って毎回言います。一人残った
父を支え頑張って母の分も生きていこうと家族みんなで誓いました^^
現代では治る治るといわれる癌ですが、まだまだ怖い病気ですね。。
あんなに頑張って生きようとしたのに・・癌が憎い・・・できるだけ
もっと世の中の方々が助かるように医学が発展していくことを願い
支えてくださったお二方に言わせてくださぃ。ありがとう!
そして残された家族として精一杯頑張って生きていきましょうね!

610 名前: 河野 投稿日:2008/02/24(日) 23:52
今この文章を拝見させていただきました。私の家では祖母が末期の肝炎で土曜日食道静脈瘤が破裂してしまい吐血してしまいました

611 名前: 富ママ 投稿日:2008/03/04(火) 16:08
河野さん。初めまして。
お返事遅くなりまして申し訳ありません。
今までの文章を読んでいただいて嬉しくおもいます。
吐血されて今日に至るまで時間がかかりましたが
現在の状況は落ち着いていらっしゃいますか?
家族は心配。どうしよう!の一言ですよね!

あなたの一言がまたここにみんなを集結させてくれて
力を貸してくれるかもしれません。
どうか呼びかけ
詳しい内容をお書きくださいますか?
 大切な家族。頑張ってほしいです。。。。。

612 名前: 由布 投稿日:2008/03/15(土) 19:39
富ママさん、ほんとにほんとにお久しぶり・・・
私はまだ立ち直れず、ほとんど寝ています。最愛の家族を亡くすと云う事が、どれほど辛いか
又、自宅介護で身も心もボロボロになったうえでの最後の打撃でした・・・
春の訪れと共に立ち直れると信じながら、暮らしています。
埃の中、流しは食器の山、それでも金縛りにあったみたいに、身体が動きません。
今日は、何となく懐かしく、あれ以来始めて掲示板開いてみました。

613 名前: 紀子 投稿日:2008/03/29(土) 15:45
溢れそうなので書き込み失礼します。
私は今現在二十歳で今年から就職です。
先日父が末期ガンを宣告されました。
遠方の勤務地でしたので上京を見合わせ、手術の日程を待っていました。
手術後、無事回復に向かっていたのですが、
先日最発を申告されました。
上京一週間前の話です。
このまま父親のそばに居てあげたいと思っていますが、
父親としてはこのまま上京してほしいと思っているそうです。
自分はどうしてあげれば一番よいのかわかりません・・・・。



614 名前: 名無しさん@癌掲示板 投稿日:2008/04/01(火) 18:42
>>613

紀子さん、はじめまして。
私には、あなたよりちょっと年下の娘がおります。

お父様は娘さんが独立することを願って、心から上京して欲しいと
思っているはずですよ。

娘に遠く離れて暮らして欲しい父親などおりません。
しかし父親は何よりも娘の成長を楽しみにしています。

今、まさに紀子さんは大人になって家から旅立とうと
しています。それは父親として、最もうれしいことであり、
そして寂しいことでもあります。

でも父親は、そんな成長した娘の肩を頑張れよといって
叩ける日が来たことに誇りを持つ動物なのです。
上京されてもお父様に毎日手紙を書いたり、電話をしたりすることは
出来るのではないでしょうか?娘の字を読んだり、娘の声を聞いたり。。。
それだけで父親というのは幸せになれるんですよ。
娘が自分の幸せのために頑張っているのならば、なおさらです。

でも上京したら、生活費を節約して2週間に1回ぐらいお父さんに会って
あげてください。時々娘の顔も見たいもんです、どんなに強がっていても。

紀子さんの成功を私も影ながら祈っております。
娘のいる父親より。

615 名前: あかね 投稿日:2008/04/03(木) 14:15
 ご無沙汰しております。
あれから2年たち今年はもう3回忌。
母の手前、精いっぱい明るく過ごして来てのですが、
最近になって色んな事を思い出すようになっています。
父に似た人を町で見かけて「もういないんだ」って思ったり・・・
でも私たちが元気でいることが何よりもの供養ですよね。

>由布さん
久しぶりにお名前を見て思わず書き込みさせていただきました。
大丈夫ですか?
なかなかいい言葉が思い浮かばないのですが、何か書きたくて・・・
こちらは今 桜が満開です。


616 名前: 由布 投稿日:2008/04/08(火) 23:54
あかねさん、一生懸命闘ってた時の方が、まだましです。
職場で同期だった、遠方に居る友人から、「自分も早くにダンナを亡くしえるので
分からないこともないが、そんなに落ち込み寝込んでいたら、旦那さんが心配して
連れに来るよ」と心配して電話がしょっちゅうかかってきています。私は自分が
こんなに弱い人間とはしりませんでした。。。迎えに来てくれれば
本望と思っています。こちらはチュウリップが10センチほど芽を出してますよ。
うちもまもなく一周忌です。采配は嫁にまかせます。

617 名前: はこ 投稿日:2008/04/09(水) 15:48
あかねさん、お久しぶりです。
私も父を亡くして1年半。大切な人を亡くした心の痛手はいつまでも
消えることはありません。桜を見ても若葉の新緑を見ても、父と散歩
したときのことを思い出してしまいます。
それでも父の残した店と母を支えるという仕事が、強くならなくては!
と私を励ましてくれているのかも知れません。
みなさんここに来られる機会はなくなっても、やはり時々気になって
のぞいてらっしゃるのですね。
それぞれ事情は違うけれど、みんな一日一日を大切に生きていらっしゃる。
そう思って私も頑張ります。

紀子さん、初めまして。
難しい選択ですね。みなさんの意見を聞いて、そしてご自分でよく考えて
出した答えをお父さまも理解してくださると思います。
お父さまとの時間を大切にたくさんの想い出を心に刻んで下さいね!



618 名前: カヅコ 投稿日:2008/04/29(火) 23:37
はじめまして。
4月19日に父を肝細胞癌で失いました。
本人は治してもらう気満々で
3月27日に入院したときには
すでに黄疸の数値が18。
治療の手立てはなく
20になったら命が危ないといわれました。
余命1週間といわれましたが
42を超える数値になるまで3週間生き続けました。
治療もなくただ死を待った3週間。
あまりの苦しみ、痛みに「まだ生きているのか」
「なぜ死ねないんだ」「壮大な実験をされてるようだ」と言い
肝性脳症なのか麻薬のせいなのか
たくさんの恐怖や不安からくる妄想や
たくさんのうわ言を言い
かわいそうでかわいそうで
そばにいるのが本当に辛かったです。
処置も出来ず、ただ苦しむ姿をみているだけで
いっそのこと首をしめて殺してあげたかった。
でもどんなに苦しんでいる姿でも
父に触れられることが嬉しく
早く楽にしてあげたい気持ちと複雑でした。
どうしてもあの姿が忘れられず
毎日泣き暮らしています。
笑っているときは父を忘れているときで
父を思うと涙がとまらないのです。。。

619 名前: 名無しさん@癌掲示板 投稿日:2008/05/01(木) 22:57
カヅコさん。初めまして。
お気持ちよくわかりますよ。同じ肝臓癌でも末期はそれぞれですから。
私も、主人を肝臓癌で亡くしまもなく一年がたちますが、
つい昨日の出来事のように、忘れることは出来ません。
苦しかった闘病生活、共倒れも辞さないほど家族全員頑張りました。
うちの場合は家族全員に見守られ、静かに息を引き取りあっけない
ほどの最後でしたが、それまでが自宅看護で最後の半年は、精神力で
痛いとも、苦しいとも、疲れたとも一言も言ってはくれませんでしたが
余命を告げず、家族だけの胸にしまって(本人は気づいて居たのかも知れませんが)
お互いを思いやりながら、それは地獄の沙汰とは思えぬほどでした。
でも過ぎ去って、取り残された今のほうがはるかに辛い哀しい侘びしい日々です
妻の思い、娘の思い、息子の思い、私は父を亡くした時よりも辛い辛い、取り残された
寂しさは言葉にはなりません、子供達に心配かけないように取り繕うのに必死です。
カヅコさんも辛いでしょう。お母様はもっともっと辛い、死にたいほど辛い思いで居られる
と、思います。どうかお母様の力になってあげてください、この悲しみも人生の糧として
乗り切って強く生きてくださいね。


620 名前: 名無しさん@癌掲示板 投稿日:2008/05/05(月) 21:20
カヅコさんへ
とても辛い思いをされたのですね。
いつまでもお父様の壮絶な姿が脳裏に焼きついてぬぐいされない
のですね。
治してもらえる信じておられたお父様の気持ちを考えるといても
たってもいられなくなるのでしょう。
同じく父をなくした私には自分のことのように思えます。
悲しみはすぐには癒えません。
時間が必要です。泣くだけ泣くしかないときもあるのです。
でもお父様は病の苦しみからもう解放されたのです。
そう考えて、一日も早くカヅコさんにも心の平和が訪れますよう
お祈りしています。
ひとりで悩まないで、辛い気持ちをここで吐き出して一歩ずつ
進んで下さい。


621 名前: にゃっち 投稿日:2008/07/14(月) 01:07
うちも2年目を迎えむかわりをする事になりました。当時この掲示板でどれほど気持ちが救われたかと思い、久々にこれを開いてみました
カヅコさん、親をなくす気持ち。痛いほどわかりますよ。うちの場合は早い段階で家族の判断なく医師が本人前でいきなり余命を言われたので
、それはそれでどういっていいのかわかりませんでしたが、家族の胸だけにしまっておくのはとてもつらい事ですね;;最後家族で見送ってあげれたのはとてもよかったと思いますよ。
聞いた話ですが、息をひきとる間際までみみだけはしっかりきこえていると聞いた事があるので、かぞくのかたがそばにおられてきっと心細いきもちが緩和されたと思います。
なくなられてしばらくすると、ジワジワと寂しさがこみあげてきますので残られた家族でしっかりとお父さんの分まで生きていかなければダメですよ!
お父様もそう願っておられるはずです。僕もここではこさんや富ママさんに聞いてもらって、がんばっていこうと勇気がわきました。自分は大したことはいえませんが、どうか頑張ってください。


622 名前: きよんた 投稿日:2008/09/22(月) 11:21
はじめまして。末期がんの父を思って、どう過ごさせてあげればよいか解からず、書き込ませて頂いています。
父が、二週間前に「おなかが張る」と、検査入院してその結果、PETで
体のあちらこちらがきらきらしていて、たまってきた腹水の中にもきらきら光っている、と言われました。
がん細胞を、もう腹水が全身に運んでしまい、全身に転移してもう、手の施しようがないとのことです。
手足の先はすでに冷水のように冷たく、足はパンパンにむくんで、食事はおろか飲み物も少量ずつをやっと、の
状態です。痛みもあり、医者からは、「余命1ヶ月」の宣告です。本人は、事実は
知りませんが、状態がひどく悪く、積極的治療もなされていないため、「じいさんばあさんが呼んでいる」
などと漏らしています。
父は、10年前にも喉頭がんを患い、長い闘病の結果、声帯を取って癌自体は完治しましたが、
声を失ってしまったので、今回のがんで、「イタイイタイ」と叫ばせてあげられないことが
可愛そうでなりません。痛みや嘔吐に耐えて、迫ってくる命のタイムリミットに恐怖があるだろうに、
じっとベッドに座っているだけの姿は、思い出すだけで涙が止まりません。
わたしは仕事を持ち、家庭もありますが、できる限り病院に行って、たわいもないことを
話して、母ともよく一緒に居るようにしています。娘二人も「じったん」を
よく見舞って折り紙を折ってはプレゼントしています。
わたしは、こんな風でよいのか、何か父にしてあげられることはないのか、
何がよいのか、冷静に考えられません。ただ、「もう助からない」余命の宣告はしないで
おこうと、母とは話しています。
すみません、心が乱れていてまとまりません。どうか同じような体験をされている方に
一言いただけたら幸いです。

623 名前: 投稿日:2008/09/24(水) 03:17
きょんたさん初めまして。お父様のご容態がまさに、私の父と似た状況で、ご心中お察しいたします。
毎日のように病院に通われてるとの事、お父様はとても喜ばれておられると思います。
私事ながら遠くに嫁ぎ、きょんたさんのように毎日顔を見にはいけない親不幸者の私は、
平日毎日歯がゆい思いをしています。私できる事といえば、会えれば心安らかで過ごしてもらえるよう、
笑顔と優しい応対や、マッサージなどスキンシップ、父の話に耳を傾けることでしょうか。。
後、母のフォローも大事かなと思っています。母が追い詰められると父が心配しますので、
父のためにも母のためにも、息抜きや優しい対応を心がけ、母の話にも耳を傾けるよう最近努力しています。

私の父は膀胱癌で全摘出、肺転移、癌性腸閉塞傾向(疼痛あり)、腎臓肥大、脱水症状で今日緊急入院しました。
食事もとれず、飲み物も嫌がり、死期が近いのではと思っています。今夜は点滴をしていただいたようで、
少し声に元気が戻っていました。持病に肺気腫があるので呼吸困難もあり、見るに耐え難い時もあります。

私にも息子がおります。病院に連れて行きたいのですが何分怪獣なもので、あまり連れて行けないのが残念です。
きょんたさんのお嬢様たちのお顔をご覧になられてるんですね。おじいちゃま方にはもしかしたら、
私たち子よりも孫の方が良い元気薬で、癒されておられるかもしれませんね。(苦笑)
どうか折り紙の祈りが届きますように。。

今日は父に手紙を書きました。こうして時間を与えられた幸運?を使わない手はないと思いまして。
もう今更伝えなくてもいいかなと思いつつ、言葉ではうまく伝える自信がないので、
感謝の気持ちを持って今週末から帰ろうと思っています。間に合ってくれるかどうかとても心配です。

きょんたさんのお気持ちはお父様に十分伝わっておられると思います。親子ですもの。
後は少しでも長く側にいる事ではないかと思います。
ご心労に潰されぬようご自愛下さいませ。
私も頑張ります。

624 名前: きよんた 投稿日:2008/09/26(金) 23:47
海さん、お父様のこと遠くから祈るような気持ちでご心配されているとのこと、
どうにもならない状況の中、本当にご心痛のことと思います。どうかどうか
週末にお会いになれるのでしたら、出来る限りのときを一緒に居てさし上げて下さい。
さしでがましいことを言って申し訳ありません。

といいますのも、とうとう私の父は、こちらに書き込みをさせて頂いてまもなくの翌日、
息を引取りました。22日から23日に掛けての真夜中のことです。
「急変しました」と病院から連絡を受けて、母と駆けつけたときにはもう、帰らぬ人と
なっていて、それどころか、看護師の方の巡回を受けた時点でもう、意識もなく血圧も
ひどく低下してしまっていたようです。どのようになくなったか誰も見届けてあげることも
できず、「お父さん」と引き止めてあげることも出来なかったことは、ただただ
申し訳なく、辛くて胸が痛くて後悔の念ばかりです。外泊許可を頂いて、何とか家で一日を
過ごさせてあげようとしたその日のできことでした。

思えば、一切食べなかったのに、プリンを二口食べ、自分で排便なんてできないはず
なのに、その日は「自分でできたのよ」と母から喜んで電話を受けたのでした。何か
おかしいな、これはいわゆる小康状態じゃないよね・・・、と思っていたのでした。

海さん、お父様に寄り添って上げられるならどうぞ、息子さんも是非できるだけ
そうしてあげてください。わたしなんかが言わなくても、そうしたいと思われていると
思いますが、わたしたち家族が誰一人、父を見届けられず、一人で逝かせてしまったことは
心をえぐられるほどに悲しいことです。怪獣といわれるお孫さんの元気をどうか
お父様に分けて差し上げられますよう。
本当に本当に、心から海さんとご家族が、お父様と少しでも長く一緒に時を過ごせますことを
お祈りしております。

625 名前: 投稿日:2008/10/01(水) 07:13
きよんたさん…
お父様のご冥福を心よりお祈りいたします。
実は私の父も28日夜息を引き取り、昨日葬儀を終えました。きよんたさんの書き込みを逝った夜に読ませて頂き、涙でお返事出来ませんでした。

お父様、急変されたのですね…お辛いですね。もう少し猶予があるばずでしたのに、ショックでしたね…。お別れ際にお会いになりたかったお気持ちを想うと、本当になんと申し上げでよいか言葉も出ません。でもお父様もお孫さんにお会いでき、きよんたさんのお気持ちは伝わっていたはずです。

私たちの父たちは、痛みや苦しみから解放されて良かったと思いましょうね。余命宣告の日にち分の苦しみから逃れられたのは、天の有難い采配だったように感じられてなりません。

まだまだお忙しい日を送っておられると思いますが、どうぞ後々のお疲れが出ませんように。
そしてお疲れ様でした。

626 名前: きよんた 投稿日:2008/10/05(日) 23:48
海さん、海さんもお父様を時同じくして亡くされたのですね・・・。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
そんな中でも、私の苦しみを和らげて下さるような、温かな書き込みを本当にありがとう
ございました。

海さんは、お父様のそばに寄り添っていらっしゃることができたのですね。
お父様は、お近くに愛する海さんやお孫さんをきっと感じられて、心安らかに旅立たれた
と思います。もっともっとこれからも一緒にいたかった、ですね、ほんとに。
でも、海さんのおっしゃるとおり、家族の思いに包まれて、病気の辛さを少し早めに切り上げる
ことができたんですよね。

私の娘が、夢で父に会ったそうです。6歳の子です。父は、「天国でもう、病気が治ったから痛くないよ」
と言っていたと。車椅子で現れて、娘をハグしてくれようとしたので、
そばに行ったら、立てないだろうと思ってたんだけど、ちゃんと立ったんだよ、と。
涙があふれました。きっと、海さんのお父様も、同じだと思います。

海さんも、何かにつけふと、心を痛められたり涙されたり、戸惑われたり、と
あるかとは思いますが、どうぞ無理をなさいませんよう。
お寺の住職にこんな話を聞きました。寿命が短く去られた方の魂は、受け継がれて
あとまだ10年20年とあるはずだった人生の力は、必ず子や孫の徳となって、守られて
いくんだと。精神論みたいですが、私たちの父は、本当に大きく見守ってくれるために
旅立ったのですね。


627 名前: 投稿日:2008/10/09(木) 11:47
きよんたさんありがとうございます。お嬢さん、元気なおじいちゃまとお会い出来たんですね。きよんたさんのお父様なのに父と重なってしまいました・・本当に良かったです。

そうです。私はずっと側に付き添えました。良かったと思わなくてはならないと頭ではわかっていますが、昏睡前の辛い別れを、まだ誰にも、交代で休んでいた母にさえも本当の経緯を話せずにおります。
父は広範囲に、肝臓も転移しており、今後痛みは避けられないと言われてましたが、主治医からは痛みなどは薬で緩和しますとのお話だったので、てっきりホスピス的な意味かと勘違いをしてしまい、病院の対応にかなり戸惑いました。私のその手際の悪さが、父の苦しみに直結していたことが悔やまれて悔やまれて…田舎の病院システムや医師不足の現状、これからの緩和医療の発展を望まずにはいられません。

悔やんでももう後の祭りなんですよね。父に最後まで呆れられちゃいました。どうしようもない娘でした。

きよんたさん、私はね思うんです。私の父はもう近くにはいない。というか、いてほしくないと。もう責任も心配も何もかも荷物を下ろして、あの歌のように、自由な風になってほしいな〜なんて。父の背中と言葉と愛情を十分感じてきたから…。たくさんたくさん親不孝してきたから…。遺品整理を始めて、知らなかった過去が次から次へと出てくるんです。父の姿を物を通して見えてくると、更にその思いは強くなってきます。

きよんたさん、こんなにポッカリ穴が開いてもお腹が空き、テレビで笑い、子供の寝顔に癒され、毎日過ぎていくんですよね。不思議です。
今日はこちらは快晴です。きよんたさんの空も晴れてますように…

628 名前: ふう 投稿日:2008/11/05(水) 01:09
はじめまして。
2年位前からこちらを見させていただいていました。書き込みはしませんでしたが、
皆さんと一緒に頑張るつもりで・・・・
6年前、皮膚がんを患っていた主人の父を看取りました、二年後、肝細胞がん伯母(母の姉・子供のいない伯母夫婦で同居)で看取りました。

いま私の母が、肝細胞がんを患っています。3年前未だ癌が3センチ未満2個以内だった頃、生体肝移植を検討しましたが、
肝臓自体の余力がないことで断念、その他の治療も(ラジオ波・塞栓術・抗がん剤・重粒子・・)いずれも肝臓が悪くなり
すぎていて適応外でした。今となっては私としては母の場合は、癌に攻しなかったことが今の状態を保っていてくれていると
思っているのですが、癌と戦っていないという母の思いに報いたくて、やっと見つけたハイパーサーミァ(温熱療法)を2年
(こちらも大学病院の教授からはそれほどの効果は期待できないかもしれないが、やってみなさいと、毒にも薬にもならない
かもしれないながら)、昨年の9月まで受けていました。その9月に肝癌破裂(近々に)の危険性を指摘され温熱を中止し、
肝癌破裂という状況の衝撃に絶望の中で時を過ごしていましたが、幸い小康状態を保っています。肝性脳症になって
危篤状態になったり、段階を経るたびに医者から告げられることを母を支えながら何とか乗り越えてきましたが、
いますこしづつ症状が進む中、モルヒネの服用、呼吸困難、両足の浮腫、全身の倦怠に精神的にもろくなっていく母、
私自身もこの先今以上のことがおきたとき、やって行けるのかつらい状態に陥っています。
・・・・こんなことで弱音を吐いていてはいけないのは解っていますが、義父を看取ったときも、伯母を看取ったときも、
つらさも悲しみも消化し切れませんでした・・・目の前で人が亡くなっていくことが無条件に私に恐怖を感じさせます。
これから起こることに対する恐怖心に支配され続けたこの一年でした・・・。
辛さを夫に訴えてみましたが、向き合ってはもらえませんでした。せめてセラピーを受けたいとも思ったのですが、
上手くいきません。友人に胸中を吐露してもむしろ負担をかけるだけのようで、かえって申し訳なく・・・・。
でもこうして一年すぎたのだから・・・・
私は一人っ子ですので、心細くはありますがいっそのこと、母のことは自分ひとりで受け止める覚悟を決めて
自分の思いは漏らさずに過ごさなければと・・・・とにかく私がしっかりしなくては・・・と思えるように
なったのが、つい先月です・・・
それでも、どんなに頑張ろうと思っても・・・悲観的になる母をどうささえたらいいのか・・・・
くじけてどうしようもない気持ちになって今日はじめて書き込みました。
長々と甘ったれた思いを書き連ねてしまってごめんなさい。


629 名前: きよんた 投稿日:2008/11/11(火) 00:18
ふうさん、これまで本当に辛いことがたくさんあったのですね。
そして、今またかけがえのないお母様を支えるのに、一生懸命に前向きで
あろうとしていらっしゃるのですね。
ふうさん、心が痛いことと思います。辛くて辛くて悲しいですよね。
わたしの書き込みをご覧になっていると思いますから、父を末期がんで入院後
二週間で亡くしたわたしが、ふうさんの長期に渡る心の痛みを全部わかって
さしあげられるなんて、思っていないのですが、ふうさん、弱音を吐いても
いいんではないかと思うんです。
お母様は、唯一甘えられるふうさんに、この先の不安やそれを打ち消してもらいたい
思いを伝えて甘えていらっしゃるのだと思います。わたしも、「家にはもう帰れないかな」
という父を、何度となく「帰れるよ」「帰ろうね」と言ったものです。
ふうさん、お母様のことを支えてあげるのも大事ですが、同時に自分の心の弱さも
許してあげていいとわたしは思います。くじけてくじけて泣いて泣いて、わたしも
辛いんです、って吐き出していいんですよ。わたしは、自分の書き込みを読んでくれた
方がいらしゃったとき、「ああ、わたしだけが泣いてるんじゃない。わかってくれる
人がいる」ってこちらで救われました。
ふうさん、こちらへの書き込みで少しでもお気持ちが楽になるのでしたら、それだけでも
ひとつ心の抜け道を作っておいてもいいのではないでしょうか。
どうぞお母様が、ふうさんと心穏やかな毎日を過ごしていけますよう、心よりお祈りして
おります。


630 名前: ふう 投稿日:2008/11/19(水) 22:18
きよんたさん、書き込みありがとうございました。
同じ思いをわかってくれる人がいると思うだけで、
ここに気持ちを書き込めただけで・・・救われる思いです。
思わず涙が溢れました。本当にありがとう。
くじけることも多いけれど、日々変わる状況にはとにかく
立ち向かうしかありません。
あれから治まっていた癌の痛みが、現在の量のモルヒネでコントロール
できなくなり追加のモルヒネの頓服、増量と続きました。
今日は増量した上に頓服を追加したものの痛みが治まらず救急で受診し
(「とにかく救急受診してもらわなければ指示が出せないから」と受診したのですが
結局、追加、増量に指示を受けただけですが・・・
痛がっている母を寒い中車に乗せて行って帰ってやるせない思いです)
今帰ってきたところです。
痛みの強いときの母を見ていると悪いことばかりが思われて仕方ありません。
自分の気持ちも、折れたら立て直す毎日です・・・
今はとにかく痛みのコントロールをして、少しでもいい状態で毎日を過ごせるように
と同時に、家族(私の子供たちも含めて)が明るく毎日を過ごせるように・・
母も私も頑張ろうと思っています・・・・
私の住んでいる地方では、夜半に雪マークが出ています。
寒くなりました。
こちらにいらしている皆様、ご家族様、どうかご自愛ください。



 



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